
本稿は大山倍達『ダイナミック空手』(一九六七、日貿出版社)と中山正敏 Dynamic Karate(一九六六、講談社インターナショナル)を、書誌・性格・評価・著者像・両者を繋ぐ人脈という五つの軸から比較考察したものです。
はじめに――「Dynamic Karate」という同名異本
戦後の空手史には、奇妙な符合がある。一九六〇年代後半、わずか一年違いで、日本語と英語、別々の出版社、別々の流派、別々の著者から、ほぼ同じタイトルの大型空手技術書が世に出た。一冊は、講談社インターナショナル(Kodansha International)から一九六六年に刊行された、日本空手協会首席師範・中山正敏の英文書 Dynamic Karate。もう一冊は、日貿出版社から一九六七年に刊行された、極真会館を率いた大山倍達の日本語書『ダイナミック空手』である。
二冊は同名でありながら、性格も、対象読者も、流派も、そして著者の経歴も大きく異なる。にもかかわらず、両著者の背後にはいくつもの細い糸が伸びている。船越義珍と義豪(義孝)父子、拓殖大学、戦前期東京の松濤館の系譜――。本稿はこの「同名の二冊」を入口に、戦後カラテ史の二つの大きな潮流が、どこで分岐し、どこで再び交差したのかを慎重に辿り直す試みである。
冒頭にあらかじめ断っておきたい。本稿で扱う事実関係には、関係者本人の回想や評伝に依存している部分があり、なかには学術的に確定していない事項も含まれる。とりわけ大山倍達の経歴については、本人の自伝・評伝間で記述が食い違う箇所が多く、内容の信憑性をめぐる議論がある。よって本稿は、断定を避け、典拠ごとの記述の差を明示する方針で書き進める。
一 大山倍達『ダイナミック空手』(一九六七、日貿出版社)
1-1 書籍の性格
大山倍達『ダイナミック空手』は、一九六七年(昭和四十二年)に日貿出版社から刊行された、ハードカバーの大型技術書である。初版はB5判横型、本体約一九〇頁、紙カバー付きという仕様であったとされる。初版以降、一九七〇年版、一九七六年版、そして一九八一年の改訂増補版(本体二〇六頁、ISBN 978-4-8170-6406-6)などとして装幀を変えながら版を重ね、長期にわたって流通した。
それ以前に大山倍達は、英文書 What is Karate?(一九五八)、This is Karate(一九六五)を世に問うており、とりわけ What is Karate? は世界で二五万部を超えるとされるベストセラーとなり、ハンガリー語・フランス語などにも訳されて、大山倍達の名を北米を中心に海外へ高めた。なお、本書『ダイナミック空手』と同じ一九六七年には、同じく日貿出版社からもう一冊の英文書 Vital Karate も刊行されており、一九六七年は大山倍達の著作史において、英文書と日本語書が交差する転機の年となった。これらの英文書群が「外向きの大山倍達」の到達点だったとすれば、『ダイナミック空手』は、その同じ著者がはじめて本格的に日本語でまとめあげた大型技術書という位置づけになる。
内容は多層的である。準備運動、立ち方、拳の握り方、運足といった基本動作の解説に始まり、突き・蹴り・受けの基本技、移動稽古、型、組手、そして試し割りや護身術にまで及ぶ。冒頭近くには空手史の概観も置かれており、「世界格闘史の中の空手」という大きな見取り図を、大山倍達なりに提示する構成になっている。後年、本書は分冊化され、極真空手の通信教育教材としても用いられたといわれる。一般読者向けの入門書としても、稽古者向けの教範としても、両用の機能を担う書物だった。
本書を貫いているのは、「実戦に堪える空手」という大山倍達の根本思想である。型と組手をともに重んじつつも、寸止め競技を前提としない、直接打撃を視野に入れた身体運用の解説が随所に挟まれる。後年、一九七〇年代以降に極真会館が「フルコンタクト空手」として体系化していく前段階の、いわば設計図の役割を果たした書物といえる。
1-2 誰に向けて書かれたか
大山倍達『ダイナミック空手』の主要な想定読者は、第一に、当時急速に裾野を広げつつあった日本の空手愛好家層であった。一九六四年に国際空手道連盟極真会館を発足させ、大山道場時代から続く直接打撃路線を組織化しつつあった大山倍達にとって、本書は、自派の技術体系と思想を、機関誌や口伝に頼らず、不特定多数の読者へ届ける媒体となった。
第二の想定読者は、海外の英文書 What is Karate? シリーズを通じて大山倍達を知り、その日本語原典に触れたいと考えた、日本国内外のシリアスな修行者層であった。同時代の証言として、本書を「分冊で通信教育に用いた」とする愛好家のレビューが残されており、独習者の手元参照書としての性格も強かった。
また、商業的観点からみれば、本書は、一九六〇年代後半に第一次空手ブームを迎えていた一般読者市場をも視野に入れていた。日貿出版社は同時期、空手・武道関係の技術書を集中的に世に出しており、『ダイナミック空手』もそうした「武道書ブーム」の一翼を担った商品だったといえる。
1-3 空手史における評価
空手史における本書の評価は、おおむね次の三点に整理できる。
第一に、極真空手・フルコンタクト空手の理論的・技術的原典としての位置づけである。後年、極真会館から派生した諸団体の指導者の多くが、本書を「最初に読み込んだ大山倍達の本」として挙げており、一九七〇年代以降のフルコンタクト系流派の技術用語・稽古体系は、本書を共通の参照点として広がった面が大きい。
第二に、大山倍達自身の著作群のなかでも、自伝・思想書とは別系統に位置する「技術書」として、後続書『秘伝極真空手』(一九七六)、『これが試し割りだ』(一九八四)などの母型となった点が指摘される。大山倍達の著作リストを通覧すると、英文書群と自伝群の合間に、本書を中心とした日本語技術書群が位置づけられる構造が浮かび上がる。
第三に、後年の改訂増補版において、空手史の章や試し割り、護身術の節が加筆・差し替えられている点も注目される。改訂を重ねるなかで、大山倍達自身の空手観・武道観の変遷を読み取ることができる稀有な書物でもある。
もっとも、本書を絶対視することは慎まねばならない。本書には、大山倍達本人の歩みを神話的に位置づける記述、史実として検証が難しい挿話が含まれており、後年の研究者・愛好家のあいだでは、内容の検証作業が続いている。本稿の立場としては、本書を「戦後日本カラテ史を考える上で欠かせない一次資料の一つ」と位置づけたうえで、その記述を鵜呑みにせず、他の一次資料と突き合わせて読むことを推奨する。
二 中山正敏 Dynamic Karate(一九六六、講談社インターナショナル)
2-1 書籍の性格
中山正敏 Dynamic Karateは、一九六六年(昭和四十一年)に講談社インターナショナル(Kodansha International)から刊行された、英文ハードカバー三〇八頁の大型技術書である(約二六×一九センチ、B5判やや横型、スリップケース付き初版も存在する)。著者は、社団法人日本空手協会(JKA)初代首席師範・中山正敏。日本空手協会は、戦後すぐの一九四九年(五月二七日)に船越義珍を最高師範に戴いて任意団体として発足し、一九五七年(一九五八年とも)に社団法人認可を受けた、戦後最大規模の松濤館系空手組織である(本書が刊行された一九六六年はすでに社団法人取得後にあたる)。中山正敏はその技術・組織両面の中核を担った人物である。
書名のとおり、本書は「動的な(dynamic)」観点から空手を捉え直すことを基本コンセプトとする。ハイライトは、ストロボ写真の大胆な導入である。当時としては最先端の技術だった一万分の一秒(1/10,000秒)の閃光時間を持つストロボを用い、突き・蹴り・受けの一動作を分解写真として、これまでにない精度で記録した。出版社の解説や同時代の評にも、このストロボ写真の革新性は強調されている。
内容は、立ち方・移動稽古・基本技の徹底解説に重点を置き、組手や型は補助的に扱われる。とりわけ「基本(kihon)」の体系的解説に踏み込んだ点で、後年「キホン本」として読まれてきた書物であり、松濤館流のテキストとしては事実上の標準文献である。後の十一巻からなる『Best Karate』シリーズ(一九七七年〜)と並び、中山正敏の技術書群の最高峰に位置づけられる。
なお、書誌上の補足として、本書は一九六六年初版刊行以降、英語圏で長く版を重ね、いまも入手可能な現役の古典である。日本語訳が長らく出版されなかった事情も含め、「最初から英語圏読者向けに書かれた、日本人著者による空手技術書」という点で、戦後カラテ史において極めて特異な書物である。
2-2 誰に向けて書かれたか
第一の想定読者は、一九六〇年代に欧米・東南アジア・南米などへ広がりつつあった松濤館系空手の海外修行者層である。日本空手協会は一九五〇年代後半から、組織的に海外指導員を派遣し、現地道場の整備を進めていた。海外の指導員・支部長が、現地の修行者に「日本の基本に忠実な技術」を示すための、英語による標準テキストが必要とされていた。本書は、その需要に応える、いわば「公式教範」として企画された。
第二の想定読者は、英語圏の知識層・大学生・武道研究者である。一九六〇年代の英語圏では、空手は「神秘的な東洋の格闘術」として、ある種のオリエンタリズムを伴って受容されつつあった。中山正敏はこの過熱の中で、「神秘」ではなく「合理的に分析可能な身体運用」として空手を提示することを意図した。ストロボ写真の多用は、その意志の具現化でもある。
第三に、本書はDonn F. Draegerをはじめとする欧米の武道研究者と日本空手協会との協働関係のなかで生み出された側面を持つ。Wikipedia英語版の中山正敏項目は、Draegerが中山の著名な共著者であったことを指摘している。本書は、日本国内の松濤館の伝統を、外側から日本武道に向き合う研究者の知見と擦り合わせながら、英語圏に手渡す共同作業の産物としても読むことができる。
2-3 空手史における評価
第一に、本書は、戦後の「世界に開かれた松濤館」の出発点に立つ標準テキストとして高く評価されている。欧米の松濤館系道場で、本書を最初の指導書として用いた指導者は数多く、現在もキホン解説書の古典として参照され続けている。
第二に、ストロボ写真によって空手の高速動作を可視化したという点は、武道書のメディア史上、画期的な達成として位置づけられる。それまで「目で追えない速さ」として神秘化されてきた突き・蹴りの軌道を、客観的な記録に落とし込み、誰でも分析できる素材に変えた。これは、空手を「合理的に教えられる技術体系」として近代化していく試みの、象徴的な一里塚であった。
第三に、本書は、後年の『Best Karate』全十一巻――Vol.1 Comprehensive、Vol.2 Fundamentals、Vol.3・4 Kumite、Vol.5 Heian, Tekki、Vol.6 Bassai, Kanku、Vol.7 Jitte, Hangetsu, Empi、Vol.8 Gankaku, Jion、以下Vol.9――11、という仕立て――に至る一連の中山正敏著作群の、出発点でもある。日本空手協会の技術言語、すなわち「松濤館流の標準語」を、英語と日本語の双方で整備していく長い作業の、最初の本格的成果が本書である。
もっとも、本書もまた絶対の典拠ではない。後年、松濤館の内部からは、本書が示す「腰を深く落とした姿勢」「直線的な運足」などが、船越義珍本人の沖縄期の動きと一致するかをめぐる議論が起きている。船越義豪(義孝)以降の本土改良の影響を強く反映した、ある時代の松濤館像を写し取った書物として、相対化して読む視点もまた必要である。
2-4 Dynamic Karate に至る道――前史としての著作群
Dynamic Karate は、中山正敏の処女作ではない。本書に先立つ一九五〇年代後半から一九六〇年代前半にかけて、日本空手協会の指導体系の整備と歩調を合わせるかたちで、英文・日本文の双方で複数の重要な著作・教範が積み重ねられていた。Dynamic Karate は、その一連の著述活動の集大成として位置づけるのが妥当である。
第一に挙げるべきは、英文書 Practical Karate(『実用空手』)シリーズである。一九六三年から一九六四年にかけて、武道研究者ドン・ドレーゲル(Donn F. Draeger)との共著の形で、Charles E. Tuttle 社より全六巻が刊行された。各巻はそれぞれ、対素手の攻撃者、対武器、対複数、対女性、対路上犯罪者、対乱暴者といった具体的な状況別の護身・応用技法を扱う、いわば「シリーズ型・テーマ別」の英文応用書である。Dynamic Karate が空手技術の基礎を扱うのに対し、Practical Karate は応用と護身に焦点を当てる、補完的な位置にある。とりわけ Draeger との協働は、後の中山著作群を貫く「武道を外側から客観的に分析する視座」を準備した点で意義が大きい。
第二に、そして Dynamic Karate と最も近い関係に立つのが、一九六五年(昭和四十年)に鶴書房から刊行された日本語書『空手道新教程』である。これは、中山正敏が、日本空手協会で整理・発展させた空手の技術と理論を、はじめて単独著者として日本語で大成させた書物であった。力学・解剖学・生理学の語彙を取り入れた分析的記述、写真による動作の分解、技術用語の標準化など、後年の Dynamic Karate に直接受け継がれていく方法論は、本書の段階ですでに本格的に展開されていた。後年、欧米の松濤館研究者の多くが、『空手道新教程』を「Dynamic Karate の日本語版にあたる書物」と紹介する慣行を共有しているのは、両書の構成上の対応関係が一見して明らかであるためである。事実関係としては、『空手道新教程』はその後、一九六六年に普及版(社団法人日本空手協会首席師範・中山正敏名義、鶴書房)として再装幀のうえ刊行され、長く版を重ねた。一九六八年以降は、日本空手協会指導部編・中山正敏監修『空手道新教程 形シリーズ』(鶴書房、平安四段ほか)として、形ごとの分冊群にも展開していく。
第三に、中山正敏自身の著作ではないが、戦後の日本空手協会が英語圏に向けて発信した最初の本格的大型英文技術書として、西山英敬(Hidetaka Nishiyama)・Richard C. Brown 共著 Karate: The Art of “Empty Hand” Fighting(Charles E. Tuttle、一九六〇)にも触れておく必要がある。本書は、海外で累計三十万部を超えるとされる戦後カラテ史上の英文ベストセラーであり、戦後初期の日本空手協会の海外指導を中山正敏とともに担った西山英敬の代表作である。中山正敏が首席師範として整備しつつあった松濤館流の標準形と、本書の技術体系とは、当時の日本空手協会の指導体制を共有する関係にあった。Dynamic Karate は、この西山書が切り拓いた英語圏の松濤館空手読者層の上に、いっそう体系的・科学的な記述と、ストロボ写真による可視化という新たな武器を携えて、改めて応答した書物として読むこともできる。
以上を踏まえれば、Dynamic Karate は突如として一九六六年に出現した一冊ではなく、(1) Practical Karate 全六巻による応用編の整備(一九六三〜六四)、(2)『空手道新教程』による日本語での技術体系の集大成(一九六五)、そして (3) 西山英敬らによる Karate: The Art of “Empty Hand” Fighting(一九六〇)が切り拓いた英語圏読者層――という三つの土台の上に、満を持して刊行された「集大成」の書であった。本書の革新性も、この前史を踏まえて読むことではじめてその輪郭が鮮明になる。
三 大山倍達とは何者か
大山倍達(一九二三――一九九四、本名・崔永宜/韓国名 최영의。サンフランシスコ講和条約発効に伴い一九五二年に日本国籍を喪失して朝鮮籍となり、後年「大山倍達」名義で日本国籍に帰化した。帰化の時期は、英語版 Wikipedia 等が一九六八年(昭和四十三年)とする一方、極真会館系の公式年譜は一九六二年とするなど資料により異同がある。なお、本名「崔永宜」および生年月日は、早稲田大学発行の学籍証明書によって確認される)は、二〇世紀後半において、日本国外で最も知名度の高かった日本武道家の一人である。
大山倍達の前半生は、出自・経歴をめぐる記述の食い違いが多く、その整理自体が空手史研究の一大テーマとなっている。本人の自伝や、本人の語りに基づく評伝のあいだでも、生年(一九二二年または一九二三年)、戸籍上の生年月日(旧暦六月四日とも、新暦七月二七日とも記される)、渡日時期、戦中の経歴などにずれがある。本稿では確実度の高い事項のみを列挙する。
- 朝鮮半島・全羅北道金堤の出身。植民地下の朝鮮で幼少期を過ごし、十代後半に渡日。
- 一九三七〜三八年頃、山梨航空技術学校(現・日本航空高等学校。極真会館公式略歴では「山梨少年航空学校」と記される)に入学。東京移住後は、松濤館流空手を船越義珍に、剛柔流空手を山口剛玄に、さらに在日朝鮮人空手家・曹寧柱(チョ・ニョンジュ/そう・ねいちゅう)にも師事した、と本人および極真会館公式は記す。なお、松濤館での実地指導は、義珍の三男・船越義豪(義孝)が中心であった可能性が指摘されており、この点は本稿第五章であらためて扱う。
- 拓殖大学に在籍したと本人および一部評伝は記すが、後年、小島一志・塚本佳子『大山倍達正伝』(新潮社、二〇〇六)が、拓殖大学学務課・学友会への取材を通じて在籍事実を確認できなかったと記している。この点は、後述するように慎重な扱いが必要である。
- 早稲田大学高等師範部体育科への入学(一九四六年四月)は、Wikipedia日本語版が引用する早稲田大学発行の学籍証明書(学籍上の氏名「崔永宜」、生年月日「一九二三年六月四日」)によっても確認される。一九四八年に除籍。除籍の理由について大山倍達本人は、「学費が払えなかった」「学業以外にやりたいことがあった」等と語っている。
- 戦後、身延山・清澄山などでの「山籠もり修行」(清澄山は一九四八年四月から一九五〇年一一月までの約一年半)、千葉県館山での「牛との対決」(一九五〇年一一月。本人および極真会館公式略歴によれば、合計四十七頭の牛と対峙し、うち四頭は一撃で即死したとされる。この一連の挿話は一九五四年の記録映画『猛牛と戦う空手』として公開された)、米国遠征(一九五二年〜。プロレスラー「グレート東郷」の弟分という設定でデモンストレーションを行いつつ、プロレスラー・ボクサーと対戦したと伝えられる)を経て、一九五四年に東京・目白に大山道場を開設。一九六四年、池袋に総本部を竣工し、国際空手道連盟極真会館を正式に発足。
- 一九六九年、第一回オープントーナメント全日本空手道選手権大会を東京体育館で開催し、「直接打撃制(フルコンタクト)」を本格的に旗印に掲げる。一九七五年一一月一日〜三日、通称「カラテオリンピック」と称される第一回オープントーナメント全世界空手道選手権大会を東京都体育館(旧)で開催(優勝・佐藤勝昭、準優勝・盧山初雄、第三位・二宮城光)。以後、フルコンタクト空手の世界的な象徴的存在となる。
大山倍達の空手史上の意義は、第一に、直接打撃制という稽古・競技形式を体系化し、それを「武道としての空手」と接続する論理を構築した点にある。第二に、自著・劇画・テレビを介して、空手を国境を越えた大衆文化の素材に押し上げた点にある。第三に、極真会館という巨大な国際組織を運営し、世界一二〇か国以上に支部網を展開した点である。
他方、大山倍達の生涯には、神話化と事実とのあいだに広い空白があり、後世の研究者は、その空白を埋める作業を地道に続けている。本稿の立場は、この空白を不用意に埋めて美談化することを慎み、典拠ごとの記述差を明示しながら検討する、というものである。
四 中山正敏とは何者か
中山正敏(一九一三年四月一三日――一九八七年四月一五日)は、戦後の松濤館流空手を国際組織として整備した最大の功労者である。
中山正敏の家系は、信州(長野県)の真田家(松代藩主家)に連なる旧家であり、先祖には剣術の指南役が複数いたと、公益社団法人日本空手協会の公式英文略歴は記す。なお、一部の二次資料は、曽祖父を「神道無念流の剣術家・中山兵右衛門」、祖父・直道を明治維新に際して上京した医師、父も医師、と記すが、神道無念流の祖は福井兵右衛門嘉平であり「中山兵右衛門」名義の剣術家を公的な系譜資料から確認することは難しく、医師家系説とあわせ、この一連の家系記述については一次資料によるさらなる検証を要する。
中山正敏の生涯を概観すると、おおよそ次のようになる。
- 一九一三年、山口県出身。
- 一九三二年、医師の家系の意向に反して、東京・拓殖大学に進学。中国語を学ぶ。
- 拓殖大学在学中、当初は剣道部に入る予定であったが、稽古場を取り違えて空手部に行き当たり、そのまま空手に転じたという有名な逸話がある。船越義珍と、その三男・船越義豪(戸籍上の読みは「よしたか」、通称「ぎごう」)に師事し、松濤館流空手を本格的に学ぶ。
- 一九三七年(昭和一二年)、拓殖大学卒業。同年、北京大東学舎の留学生として中国へ渡る。一九四六年(昭和二一年)五月、終戦後に引き揚げて帰国。
- 一九四九年(JKA公式略歴では昭和二三年=一九四八年)、戦後関東の松濤館系各大学のOBが中心となって、日本空手協会を任意団体として設立(社団法人認可は一九五七年、一九五八年とも)。中山正敏は中心実務を担う。
- 一九五八年、社団法人化に伴って日本空手協会の初代首席師範に就任(JKA公式略歴、昭和三三年)。ただし、「首席師範」就任年は資料によって一九四九年(JKA WF America他)・一九五五年(一部の評伝)と記されるものもあり、船越義珍生前にすでに実質的な首席師範として指導を担っていた可能性が高い。一九六六年、英文書 Dynamic Karate を講談社インターナショナルから刊行。
- 一九七七年以降、十一巻からなる『Best Karate』シリーズを刊行。海外指導員養成、世界選手権の整備など、戦後松濤館の国際化を主導。
- 一九八七年四月一五日、東京で逝去(享年七四)。松濤館の歴史上、生前に九段を授与された最初の人物であり、没後に十段が授与された。
中山正敏は、戦後の松濤館流空手を、稽古場の中だけでなく、紙の上でも標準化した最大の整備者でもある。すでに本論で見たように、本書 Dynamic Karate に至るまでに、英文・日本文の双方で複数の重要な著作を世に出しており、その流れは没年に至るまで途切れることがなかった。中山正敏の単著・共著・監修書の総数は、形ごとの分冊や派生書を含めれば三十冊を優に超え、戦後の単一の空手家としては、おそらく最も体系的かつ持続的な著述活動を行った人物である。
刊行年順に主要な著作を整理すると、おおよそ次のようになる。
- 一九六三〜六四年、英文書 Practical Karate シリーズ全六巻を、武道研究者ドン・ドレーゲル(Donn F. Draeger)との共著の形で、Charles E. Tuttle 社(米国・東京)より刊行。対素手・対武器・対複数・対女性・対路上犯罪・対乱暴者、という状況別の応用空手を扱う、英文圏向けの最初期の体系的応用書である。Draeger の参与により、欧米の武道研究者に向けた語り口・分析枠組みが整えられた。
- 一九六五年、日本語書『空手道新教程』を鶴書房から刊行。技術用語の標準化、力学・解剖学に基づく分析的解説、写真による動作分解など、後年の Dynamic Karate の方法論を、日本語版で先取りした集大成である。
- 一九六六年、英文書 Dynamic Karate: Instructions by the Master を講談社インターナショナルから刊行。ストロボ写真を全面的に導入し、英語圏の標準技術書として確立。同年、『空手道新教程』普及版(鶴書房)も刊行。
- 一九六八年以降、日本空手協会指導部編・中山正敏監修『空手道新教程 形シリーズ』を鶴書房から順次刊行。「平安四段」など、形ごとの分冊として整備される。
- 一九七七年以降、英文書 Best Karate 全十一巻を講談社インターナショナルから刊行。総合編、基礎編、組手編、形編に分かれ、松濤館流の技術体系を、英語圏読者に向けた完全な体系として再編した、後期中山著作の総決算である。
- そのほか、形ごとの解説書、各種派生著作、英文版・日本語版の相互翻訳が数多く存在する。死後、一九八七年・二〇一二年・二〇一七年と Dynamic Karate および『Best Karate』シリーズが各国で再版を重ねている。
これらの著作群を通覧すると、著述家としての中山正敏には三つの一貫した特徴を読み取ることができる。第一に、力学・解剖学・生理学・教育学の用語と概念を取り入れた、分析的・科学的な記述スタイル。中山正敏は、空手を「東洋の神秘」として語ることを徹底して避け、誰でも反復・検証できる身体技法として記述しようとした。第二に、ストロボ写真や連続写真を用いた、動作の客観的可視化への徹底したこだわり。中山正敏は、自著における写真選定に深く関わり、撮影現場にも頻繁に立ち会ったと伝えられる。第三に、日本語と英語の両方で同時並行的に、同一の技術体系を提示し続けたことである。同一概念を英語と日本語の双方で何度も書き直したことで、結果として、松濤館流の技術言語が二か国語で同時に整備されていった。この三点に、戦後の松濤館流が「世界の標準として読み解ける武道」として整備されていった軌跡が、そのまま投影されている。
中山正敏の空手史上の意義は、第一に、松濤館流を「世界に通用する近代的な武道」として整備し直した点にある。第二に、英文・日本文の両方で、技術書・教範を系統的に整備し、技術言語の標準化を推し進めた点にある。第三に、ストロボ写真の導入をはじめ、空手の身体運用を可視化・分析可能なものとして近代化した点にある。
人物像として中山正敏は、剣術家の家系から医師の家系へと移り、さらに自らは武の道に転じたという、近代日本の知識人らしい複層的な背景を持つ。本人の論述は、神秘主義を慎重に避け、解剖学・力学・教育学の言葉で空手を語る姿勢が際立つ。同時代の他流派の指導者と比べても、極めて学術的な性格の強い空手家であった。
五 二人を繋ぐもの――松濤館・船越義豪・拓殖大学
ここまで概観した二人の経歴を並べると、その背後にいくつもの共通する糸が見える。本節では、その糸を、「松濤館と船越義珍」「船越義豪」「拓殖大学」という三つの軸から整理する。なお、この節こそ、研究者によって解釈が分かれる領域である。本稿は、確定的に書ける部分とそうでない部分とを峻別する。
5-1 松濤館と船越義珍
中山正敏は、一九三二年からの拓殖大学在学中、船越義珍に直接師事した松濤館の直系である。一九四九年の日本空手協会設立も、戦前期に船越義珍に学んだ関東各大学のOBが中心となった動きであり、中山正敏は船越義珍の系譜の「正統な後継組織」を担う立場に立った。
大山倍達もまた、本人の語りによれば、一九三八年(一説に一九四三年)の渡日以降、東京で船越義珍に師事した時期があるとされる。空手史一般においても、大山倍達の出発点に松濤館流が置かれること自体は、極真会館の公式記述・大山倍達本人の自伝のいずれにおいても明示されている。
つまり、両者はともに、戦前から戦中にかけての東京における松濤館流という共通の出発点を持つ。これは、戦後における両者の技術体系の根底に、共通の「基本」のイメージが――少なくとも痕跡として――存在することを意味する。
5-2 船越義豪(義孝)――二人を別個に結ぶ細い糸
ここで注目すべき人物が、船越義珍の三男・船越義豪(一九〇六――一九四五)である。一九二三年、十七歳のときに父・義珍を頼って沖縄から上京した義豪は、文部省体育医事相談所のレントゲン技師を本業としつつ、父の高弟・下田武の没後は「若先生」と呼ばれて各大学空手部の師範代を実質的に担った。回し蹴り・横蹴り(蹴上げ・蹴込み)の体系化、組手「天之型」や「大極」型・棒術型「松風」の創出、いわゆる「腰を深く落とした姿勢」「長い直線的な運足」など、現代の松濤館像の多くを実質的に整備した人物として知られる。
中山正敏は、拓殖大学時代に、船越義珍と、その三男・義豪の二人から指導を受けたことが、日本空手協会の公式記述、各種の伝記、英語版Wikipediaの中山正敏項目に至るまで一致して伝えられている。拓殖大学空手道部は一九三〇年(昭和五年)に設立されており、義豪が父・義珍とともに同部の現場稽古に直接関与した時期があったことは、複数の松濤館史料からも裏づけられる。中山の松濤館像が、義珍の沖縄期の動きそのものではなく、義豪以降の本土改良の影響を強く受けたものになっているのは、この師承から自然に説明できる。
他方、大山倍達と船越義豪との関係は、これとは別個の文脈で語られる。大山倍達が船越義珍に学んだとされる時期は、戦中の東京である。当時、船越義珍の道場では息子の義豪が実技指導を相当部分担っていたことが、複数の松濤館史料に記される。したがって、大山倍達が松濤館の現場で実際に習ったのが、義珍本人だったのか、あるいは義豪を介してであったのかは、史料的にはなお慎重な検討を要する。少なくとも、両者がともに、船越義豪を介して松濤館の本土期の身体運用に触れた、と読める素地はある。
なお、『月刊空手道創刊号』(空手時報社、一九五六年)で大山倍達は金城裕との対談のなかで「昭和一八年か、一七年頃でしたか。それまでは柔道をやっておりましたが、偶然の機会で、空手がよいというので、船越先生の門を叩きました。」対談内で病床の若先生(船越義豪)についての言及がある。
重要なのは、二人が船越義豪を介して直接出会ったのではない、という点である。中山正敏は拓殖大学・日本空手協会という制度的経路を通じて、大山倍達は戦中の東京の道場という別の経路を通じて、それぞれ独立に船越義豪と接続した。共通の祖をもちながら、別の枝として育った二本の樹木――それが、二人の関係を象徴する図像である。
5-3 拓殖大学――議論の余地がある共通項
二人を繋ぐもう一つの、しかし最も慎重な扱いを要する糸が、拓殖大学である。
中山正敏が一九三二年に拓殖大学に入学し、一九三七年に卒業したことは、日本空手協会、拓殖大学側の記録、英語版Wikipedia、各種伝記の証言が一致するところであり、確定事項として扱ってよい。中山正敏は、戦後に至るまで拓殖大学空手道部および同部出身者と深い関係を保ち、後の松濤館流のなかで「拓大空手道部の伝統」が大きな比重を占める素地を作った。
大山倍達についても、本人の自伝、極真会館の公式略歴、各種ファンサイト・百科事典記述では、「拓殖大学に学んだ」とされる。拓殖大学在学中の柔道家・木村政彦(一九一七――一九九三、一九三五年拓殖大学入学、一九四一年卒業)が、一九四〇年(昭和一五年)の紀元二千六百年奉祝天覧武道大会で優勝した事に感動して、自らも同大学への進学を志した、という挿話がしばしば引かれる。
しかし、後年、小島一志・塚本佳子『大山倍達正伝』(新潮社、二〇〇六)は、拓殖大学学務課・学友会への取材を行い、大山倍達が拓殖大学に在籍したという公式記録は確認できなかったと記述している。Wikipedia日本語版もこの点を典拠とともに引いている。
本稿の立場としては、この問題について次のような留保を置く。
- 大山倍達の自伝的記述には、「拓殖大学」を学歴のひとつに数えるものが繰り返し現れる。
- 他方、拓殖大学側の制度的記録から、それを裏づける一次資料は、現時点では公にされていない。
- したがって、現時点で確実にいえることは、「大山倍達と拓殖大学との制度的接続の有無は、未確定である」ということに尽きる。
この未確定性こそが、二人の関係を語るうえで重要である。中山正敏にとっての拓殖大学は、空手の世界に入る入口そのものであり、卒業後の人脈・組織の母胎であった。一方、大山倍達にとっての拓殖大学は、本人が繰り返し言及しながらも、外部から確認することが困難な、いわば「自伝のなかの拓殖大学」である。両者を結ぶ「拓大」の糸は、見えるようでいて、史料の地平では細く、ところどころ切れている。
5-4 まとめ――同じ祖をもつ別の樹
以上をまとめると、二人を繋ぐ糸は次のように整理できる。
- 共通の遠い祖:本土期の松濤館、その中心に立つ船越義珍・義豪父子。
- 異なる接続経路:中山正敏は拓殖大学・日本空手協会という制度的経路で。大山倍達は東京の道場と本人の自伝的記述という非制度的経路で。
- 重なるが一致しない学歴:拓殖大学。中山は確実、大山は未確定。
- 直接の師弟関係や共同稽古関係は、確認されていない。
二人は、戦後カラテ史の「松濤館以後の二つの大樹」とも呼ぶべき存在である。中山正敏は、松濤館の本流を磨き直し、世界に開いた。大山倍達は、松濤館の根から枝分かれし、剛柔流(山口剛玄)を主軸に据えつつ、講道館柔道、ボクシング、さらには短期間ながら大東流合気柔術(吉田幸太郎)といった多様な要素をも取り込みながら、「直接打撃の武道」という別の樹を育てた。二人は同じ土壌から生え、互いに直接交わることなく、戦後の空手地図を二極化した。
六 大山倍達『ダイナミック空手』参考文献
二人が実際に直接交わらなかったとして、それでも一つ、明確な接点が、書物のなかに残されている。
大山倍達『ダイナミック空手』のうち、少なくとも筆者が確認した一九六七年版(初版)には中山正敏の著作『空手道新教程』(鶴書房)が含まれている。
なお、大山倍達『ダイナミック空手』(一九六七年発行の版)に記載された参考文献は次の通り
p.38に記載された参考文献
〔空手関係〕
- 陸奥瑞穂 他篇『唐手拳法』1933.8、東京帝国大学唐手研究会、本郷
- 蔡長庚『唐手教範 鶴拳法』1958、錬武館
- 蔡長庚『唐手教範 太祖拳 剛柔派』1963、内外タイムス社
- 澤山宗海『日本拳法』1964.12、毎日新聞社
- 船越義珍『空手道教範』日月社
- 長谷義勝『空手道入門』文進堂
- 笹島恒輔『大島雑記 中国体育史』逍遥書院,
- 『新体育講座』1 巻~26巻、逍遥書院
- 石川文一『琉球の武勇伝』花城書店
- 石川文一『大動乱―空手由来記―前後篇』花城書店
- 武木科 篇『太極拳运动』(一)(二)、人民体育出版社
- 『岳飛拳』香港祥記局
- 『北派仏家拳』香港祥記局
- 『少林金剛拳』香港祥記局
- 『武當八卦拳』香港祥記局
- 『梅花単刀』香港祥記局
- 『全図易筋経』 (ダルマ) 南風出版社
- 『全図易筋経』 (ダルマ) 真善美出版社
- 清和『内家八卦掌』眞善美出版社
- 洪萬馨『五大健康修練法』眞善美出版社
- 沖斗宗『少林棍槍法闡宗』南風出版社
- 袁楚材『武功秘訣の一鉄砂掌功』南風出版社
- 趙連和・陳鉄生『達摩剣』南風出版社
- 劉法孟『武術大観』南風出版社
[空手関係洋書]
- This is Karate, Masutatsu Oyama, Japan Publications
- What is Karate ?, Masutatsu Oyama, Japan Publications
- Secrets of Chinese Karate, E. Parker
- Korean Karate, Woo Kongsu.
〔その他〕
- 藤平光一『生活の中の合気道』六芸書房
- 工藤一三 他篇『柔道講座』1~5、白水社
- 宗道臣『少林寺拳法』光文社
- 塩田剛三『合気道の楽しみ方』西東社
- 仲宗根源和著『武道物語』万里閣
- 道明弘章『ソ連の格斗技サンボの技と訓練』光和堂
- C.A. ブッヒエル著、江橋慎四郎訳『体育の基礎理論』協同出版
- 東京教育大体育史研究室 編『図説世界体育史』新思潮社
- エミット・ライス著、今村嘉雄・トミ訳『世界体育史』不昧堂
- マリオンR.ブロアー著、宮畑虎彦 訳『身体運動の力学』ベースボールマガジン社
- フェレンス・メゾー著、大島鎌吉訳『古代オリンピックの歴史』ベースボールマガジン社
- 山村治郎 訳『毛沢東の「体育の研究」 付太極拳』ベースボールマガジン社
- [その他洋書]
- Aikido in Daily life, K. Tohei
- What is Aikido?,K. Tohei
- Aikido: The Art of Self Defense, K. Tohei Secret
- Fighting Arts of the World, J. F. Gilley
- Athletics of the ancient world, E. V. Gardiner
巻末記載の参考文献
〔空手関係〕
- 日本空手道普及会『空手道講座』東京書院
- 日本空手研究会『空手道入門』若葉書房
- 宮城幸武『空手の習い方』三洋社
- 良武館小西道場『空手術入』魚住書店
- 遠山寛賢『空手道大宝鑑』鶴書房
- 遠山寛賢『空手入門』元文社
- 小西祐康『空手上達法』三洋社
- 広西元信『目でみる空手入門』西沢弘文堂
- 祝嶺制献『新武道教範』日本文芸社
- 『月刊空手道』第1巻1号~第2巻15号、空手時報社
- 仲宗根源和『空手道大観』 (著) 東京図書
- 『空手道真髄』 大日本空手道松涛館
- 船越義珍『空手道教範』日月社
- 中山正敏『空手道新教程』鶴書房
- 澤山宗海『日本拳法』毎日新聞社
- 摩文仁賢和 他篇『空手道入門』空手研究社
- 蔡長庚『興武館鶴拳法』内外タイムス社
- 蔡長庚『太租拳』内外タイムス社
- 石黒敬七『空手早わかり』
- 大塚礼吉『空手の習い方』金園社
- 小西康祐『空手道入門』愛隆堂
- 摩文仁賢栄『空手道』愛隆堂
- 安城敬『空手道の楽しみ方』ベースボール・マガジン社
- 宗道臣『秘伝少林寺拳法』光文社
- 長谷義勝『空手道入門』文進堂
- 山口剛玄『剛柔の息吹』文海堂
- 陸奥瑞穂 編『空手拳法』東京帝国大学空手研究会
- 摩文仁賢和『攻防自在護身術空手拳法』空手研究社
- 『空手研究』第一輯, 第二輯,空手研究社
- 摩文仁賢和『十八の研究』空手研究社
[空手関係洋書]
- This is Karate, Masutatsu Oyama
- What isKarate ?, Masutatsu Oyama
- Complete Book of Self Defense.Bruce Tegner
- Super Karate made easy, Moja Rone
- Zen Combat,Jay Gluck
- Secrets of Chinese Karate, E. Parker
- Practical Karate (series),Nakayama & D. Draeger
- Karate: The Art of “Empty Hand” Fighting, N. Nishiyama & R. Brown
- Thechnique of Self-Defense, C. Lee & R. Figueroa
- Karate par l’image (series),H. D. Plee
- Karate by image, H. D. Plee
- Natural Weapons: a manual of Karate, Judo, and Jujitsu, K. Freudenberg
- Manual of Karate, E. J. Harrison
- Judo and Karate belt degrees, B. Tegner
- Judo-Karate for Law Officers, B. Tegner
- Mas. Oyama’s Karate, B. Lowe
- Hand to Hand Combat, R. Begala and J. Louise
- Karate(Tropical Book No. 40), J. Kuhl
- Karate is my life, R. A. Trias
- My Method of Self-Defense, M. Kawanishi.
[その他洋書]
- Aikido: The Art of Self-Defense, K. Tohei
- Athletics of the ancient world, E. V. Gardiner
- What is Aikido?, K. Tohei.
[空手関係洋書]
- This is Karate, Masutatsu Oyama, Japan Publications
- What is Karate?, Masutatsu Oyama, Japan Publications
- Secrets of Chinese Karate, E. Parker Korean Karate, Woo Kongsu.
[その他洋書]
- Aikido in Daily Life, K. Tohei
- What is Aikido?, K. Tohei
- Aikido: The Art of Self Defense, K. Tohei
- Secret Fighting Arts of the World, J. F. Gilley
- Athletics of the ancient world, E. V. Gardiner.
研究書から一般書まで多くの文献が列挙されており、その中には洋書や中国語で書かれた書籍と思われるものまでが含まれている。
残念ながら筆者は上記に記載された書について全ての存在を確認してはいない。書籍タイトルや著者名などに誤りがあるかもしれないし、書籍によっては存在自体に疑義があるかもしれない。日本語(あるいはここに言及はないが朝鮮語など)で書かれた書籍はともかくとして、大量の洋書や中国語で書かれた文献とみられる書籍を大山倍達がどのように入手し、どうやって読み込んでいったのかという点は今後の研究が待たれるといえる。
AIによる調査のみですが、英語版記事では書誌について多少の加筆をしています。ほとんどの書籍について、Mejiro.infoでは現状原本にアクセスする手段がないため、内容が未確認であること、書誌について誤りが含まれる可能性があることを留意してください。
七 結びにかえて――同名の二冊が遺したもの
一九六六年と一九六七年。この二年のあいだに、世界に向けた英文の松濤館標準書と、日本語で書かれた直接打撃路線の大著とが、ほぼ同じ表題のもとに刊行された。両書は、同時代の空手の異なる側面(合理的・教育的な近代化と、実戦志向の武道的深化)を象徴的に体現している。
二人の著者は、同じ松濤館の土壌から育ちつつ、別の方向へ枝を伸ばした。中山正敏は、世界各地の道場に共通の「基本」を届け、空手を「分析可能な技術」として世界市民の前に置いた。大山倍達は、自らが戦前期の松濤館で受け継いだ「基本」の上に、直接打撃と精神論、そして剛柔流由来の身体運用を重ね、空手を「実戦の武道」として大衆文化のなかに押し出した。
二人の関係は、直接の師弟関係でも、対立関係でもない。二冊の「ダイナミック空手」は、互いを激しく批判するわけではなく、ただ、同じ時代の空気の中で、それぞれの仕事を独立に進めた。にもかかわらず、大山倍達『ダイナミック空手』の参考文献欄に中山正敏の名が並ぶように、二つの大樹の根は、戦後の空手という同じ大地のなかで、ある場面では確かに触れ合っていたと考えられる。
戦後のカラテを一人の著者・一つの団体・一つの流派から語ることはできない。むしろ、こうした「同名異本」の存在こそが、戦後カラテ史を、複数の主体の対話と並走として読み直すための、優れた入口となる。本稿が、読者にとって、その入口の一つになれば幸いである。
主要参考文献・出典
- 大山倍達『ダイナミック空手』日貿出版社、一九六七年(初版、約一九〇頁)/一九七〇年版・一九七六年版・一九八一年改訂増補版(二〇六頁、ISBN 978-4-8170-6406-6)ほか。
- 大山倍達 What is Karate? Tokyo-News Co.、一九五八年(初版)/日貿出版社、一九六三年(改訂新版)ほか。
- 大山倍達 This is Karate 日貿出版社、一九六五年(初版)。
- 大山倍達 Vital Karate 日貿出版社、一九六七年。
- Masatoshi Nakayama, Dynamic Karate: Instructions by the Master, Kodansha International, Tokyo / New York, 1966. (二〇一二年 Kodansha USA 再版、二〇一七年 Penguin Books Australia 再版あり。)
- 中山正敏『空手道新教程』鶴書房、一九六五年(初版)/一九六六年 普及版/一九六八年以降『空手道新教程 形シリーズ』(日本空手協会指導部編・中山正敏監修、鶴書房)。
- Masatoshi Nakayama & Donn F. Draeger, Practical Karate シリーズ全六巻、Charles E. Tuttle, Rutland, Vt. / Tokyo, 1963–1964.
- Hidetaka Nishiyama & Richard C. Brown, Karate: The Art of “Empty Hand” Fighting, Charles E. Tuttle, Rutland, Vt. / Tokyo, 1960.(中山正敏の著ではないが、戦後の日本空手協会が英語圏に向けて出した最初の本格的技術書として、本稿で前史に位置づけた。)
- Masatoshi Nakayama, Best Karate シリーズ全十一巻、講談社インターナショナル、一九七七年以降。
- 「中山正敏(空手家)」『ウィキペディア日本語版』(二〇二六年五月閲覧)。
- 「Masatoshi Nakayama」, Wikipedia (English edition), accessed May 2026.
- 「大山倍達」『ウィキペディア日本語版』(二〇二六年五月閲覧)。
- 「Mas Oyama」, Wikipedia (English edition), accessed May 2026.
- 公益社団法人日本空手協会「中山正敏 Nakayama Masatoshi」公式紹介ページ(webhiden.jp)。
- 国際日本空手道協会 機関頁「中山正敏先生の思い出」(ijka.jp)。
- 尚志館「二人のヨシタカ先生と松濤館流空手」(jkashoshikan.wixsite.com)。
- 小島一志・塚本佳子『大山倍達正伝』新潮社、二〇〇六年
- 極真会館公式サイト「大山倍達総裁紹介」(kyokushinkaikan.org)。
- Office Mas-Oyama, “The Complete Bibliography of Sosai Mas Oyama: A Legacy in Print” (mas-oyama.com)。
- USAdojo, “Masatoshi Nakayama: Shotokan Karate” (usadojo.com)。
本稿はファクトチェック作業中のドラフトである。とくに以下の論点については、原書・一次資料による再確認を要する。
(1) 大山倍達『ダイナミック空手』各版の正確な参考文献欄構成。本稿ではアマゾン書誌を基に一九八一年改訂増補版を明示したが、それ以前に一九七八年等の改訂版が独立に存在した可能性は残る。とりわけ、中山正敏の『Best Karate』シリーズ(一九七七年以降刊行)への言及は、本書の一九八一年改訂増補版以降の版にしか論理的にあり得ない。一九六七年初版・一九七〇年版・一九七六年版の各参考文献欄に何が並ぶかは、現物による精査を待つ必要がある。
(2) 大山倍達と船越義豪との実際の稽古関係。
(3) 大山倍達と拓殖大学との制度的接続の有無。
(4) 中山正敏の家系記述については、「曽祖父・神道無念流の剣術家・中山兵右衛門」説を伝える二次資料がある一方で、神道無念流の祖は福井兵右衛門嘉平とされ、該当人名を公的系譜から追えない。JKA公式英文略歴がいう「真田家・剣術指南家系」という大枠を保持しつつ、個人名・流派は一次資料での検証を要する。
(5) 大山倍達の戦前・戦中期における師承(船越義珍/船越義豪/曹寧柱/山口剛玄)の比重と時期。本人の語り、極真会館公式、第三者証言のあいだで、最初に学んだ師、主たる指導者、稽古場の所在地など、記述に揺れがある。
(6) 大山倍達と大東流合気柔術との関係。Wikipedia 日本語版および極真会館系の略歴は、一九五六年に大東流合気柔術の吉田幸太郎から「合気柔術とステッキ術」を短期間学び、目録(巻物)の授与を受けたと記す。ただし、当該巻物の性格(皆伝に相当するものか否か)、伝承期間の短さと「免許皆伝」と呼ぶことの妥当性、極真空手の技術体系における大東流要素の比重などについては、本人系の語りと外部の武道史研究者・大東流関係者の見解とのあいだに温度差があり、学術的検証が進行中である。
(7) 大山倍達『ダイナミック空手』(一九六七、日貿出版社)と、大山倍達自身の英文書 What is Karate?(一九五八)・This is Karate(一九六五)との関係。日貿出版社の現行公式書誌は、本書を二英文書を「母体」として成立した最初の日本語版空手書と位置づけている。両英文書と本書との章構成・写真・記述の対応関係を、原書の現物に当たって精査することは、戦後カラテ史研究の重要な課題の一つであり、本稿第六章で論じた中山著作との参照関係を相対化する作業の前提ともなる。
これらの論点について、新たな一次資料が確認された場合は、本稿を加筆・修正する。

