
- 序
- 第1章 19世紀以前 —— 武術が「風俗」として描かれた時代
- 第2章 1880–90年代 —— 柔術・柔道が最初に「武道」として世界へ
- 第3章 1900年代 —— 「ジャパニーズ・フィジカル・カルチャー」の流行
- 第4章 戦間期 —— E.J. Harrisonと「内側に入った観察者」
- 第5章 剣道・なぎなたの英語化はなぜ遅れたか
- 第6章 戦後 1945–1950年代 —— 占領期から始まる新しい紹介
- 第7章 1950年代後半–1960年代 —— 空手の英語文献の誕生
- 第8章 1970年代前半 —— 翻訳と学術化の交差点
- 第9章 ジャンル別の比較 —— 技術書・一般書・歴史書・学術書
- 第10章 武道に関する学術研究 —— 1970年代までに何が成立していたか
- 終章 —— 何が紹介され、何が紹介されなかったか
- 付録:本稿で言及した主要文献(時代順)
序
本稿が扱うのは、日本語以外の言語で書かれ、日本の武道(あるいはその前身となる武術)を主題ないし重要な構成要素として論じた書籍・論文である。対象とする時代は、ヨーロッパ人による最初期の日本記述が現れた17世紀から、武道に関する英語文献が爆発的に増加していく1970年代までとした。
なぜこのテーマを取り上げるのか。日本の空手研究者・武道研究者にとって、自国の武道を「外から」記述してきた一連の文献群を見渡すことは、いくつかの意味で有益である。第一に、自分たちが当然視している武道像が、いつ・誰によって・どのような語彙で海外に伝わったかを把握することは、現在の世界における武道像の歴史的形成を理解する出発点となる。第二に、外国語文献は日本側の関係者が書いたもの、純粋な外国人観察者によるもの、その両者の共著、さらには弟子筋の翻訳など、書き手と読み手の組み合わせが極めて多様であり、その配置自体が、各武道がどのように国際化していったかを物語る。第三に、これらの文献は単なる歴史史料にとどまらず、現代でも参照され、引用され、海外の道場や大学で「日本武道の解説書」として読み継がれている。日本の研究者が一次史料として扱う和書とは別に、世界中で繰り返し読まれてきた「もうひとつの正典」が存在しているのである。
本稿の構成は以下の通りである。19世紀以前の旅行記・地誌における武術記述から始め、明治期における柔術・柔道の英語化、戦間期にE.J. Harrisonに代表される「内側に入った観察者」が現れる過程、剣道・なぎなた等の英語化の遅れ、戦後の占領期、1950–60年代の空手の英語文献の誕生、そして1970年代前半におけるDonn F. Draegerによる学術化の試みまでを順に追う。最後に、技術書・一般書・歴史書・学術書というジャンル別の比率と、武道研究が独立した学問領域として立ち上がる前夜の状況を整理する。
なお、19世紀以前の文献については「武術」、明治以後の制度化された競技・修養体系については「武道」と原則的に書き分けるが、引用文脈に応じて柔軟に用いる。書名は初出に限り原綴を記し、以後は短縮形を用いる。発行年は版や訳によって異なるため、初版年あるいはそれに準ずる版年を記載するが、不確実な場合はその旨を注記する。
第1章 19世紀以前 —— 武術が「風俗」として描かれた時代
日本武術が日本語以外の言語で本格的に「主題」として論じられるのは、ほぼ19世紀後半以降のことである。それ以前、つまり16世紀末から18世紀にかけてヨーロッパで出版された日本関係の書物において、武術は独立した主題というよりも、サムライという特殊な身分階層の風俗・装束・倫理を構成する一要素として、しばしば断片的に言及されたに過ぎない。
最も早い体系的記述として常に引かれるのが、ドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651–1716)による『日本誌』(原稿は著者の母語であるドイツ語で書かれ、シューチュッツァー(J.G. Scheuchzer)による英訳版 The History of Japan がロンドンで1727年に刊行された。ドイツ語原本の本格的な刊行は20世紀以降である)である。出島オランダ商館付医師として1690–92年に日本に滞在したケンペルは、武家社会の構造、刀剣の意匠、武士の作法、そして将軍のもとでの儀礼を、当時のヨーロッパ読者にとってまったく未知の世界として描き出した。同書には剣術・弓術・槍術の存在自体への言及はあるが、その技術内容や流派構成についての記述は乏しい。著者の関心は政治制度・宗教・博物学にあり、武術は背景に置かれる。読者として想定されたのは、ヨーロッパの知識人・商業関係者・植民地行政官であり、武術書ではなく地誌として読まれた。
ケンペルに先立つ16–17世紀のイエズス会関係文書、たとえばルイス・フロイス(Luís Fróis, 1532–1597)の『日本史』(Historia de Japam)はポルトガル語で書かれている。なお、フロイスの稿本そのものは長く未刊のままであり、本格的な校訂版が刊行されたのはJ. Wicki S.J. による全5巻(リスボン、1976–84年)を待たねばならない。とはいえ、同時代のイエズス会書翰集(Cartas)はポルトガル語原稿がイタリア語・ラテン語・スペイン語に翻訳・編纂されてヨーロッパに流通し、武士の習俗や合戦の様子を欧州読者に伝える貴重な記録となった。ただしいずれも、武術それ自体を体系的に解説する意図は持っていない。同様に、英国東インド会社のジョン・セーリス(John Saris, c.1580–1643)の航海記(1613年に平戸到着、ジャーナルは後年サミュエル・パーチャス Purchas his Pilgrimes 1625年に部分収録、Hakluyt Society校訂版は1900年)、オランダ商館長フランソワ・カロン(François Caron, 1600–1673)の日本誌 Beschrijvinghe van het Machtigh Coninckrijck Japan (1645/46年に蘭語原書、ロジャー・マンリー卿(Sir Roger Manley)による英訳 A True Description of the Mighty Kingdoms of Japan and Siam が1663年にロンドンで刊行、1671年に再版)も、刀の鋭利さや切腹の慣習に驚嘆する記述はあれど、武術書としての性格は持たない。
19世紀前半に大著として登場するのが、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(P.F. von Siebold)の Nippon: Archiv zur Beschreibung von Japan (1832年以降、断続的にライデンで刊行)である。シーボルトもオランダ商館付医師として1823–29年(1828年のいわゆる「シーボルト事件」を経て翌1829年に国外退去)に日本に滞在し、博物学的・民族誌的観点から極めて広範囲の図版と記述を残した。同書には武具・甲冑・刀剣の精細な図版が含まれ、これは後世の西洋研究者・コレクターに大きな影響を与えたが、技法そのものを伝授する技術書ではない。シーボルトのテクストはドイツ語(一部オランダ語)で書かれ、想定読者はヨーロッパの博物学者・東洋学者であった。
19世紀後半、いわゆる「日本ブーム」のなかで武術が一般読者の前景に出てくる契機を作ったのが、英国外交官アルジャーノン・B・ミットフォード(A.B. Mitford)の Tales of Old Japan (Macmillan, 1871)である。同書は、赤穂浪士の物語、切腹の作法、武家説話を英語で物語化したもので、武術そのものの技術書ではないが、サムライの倫理・所作・身体性を欧米読者に体系的に紹介した最初期の書物のひとつである。これ以降、英語圏では「武士道」を語る前提が共有されていく。
ここまでに見たように、19世紀以前の段階で日本武術を語る洋書は、(1)地誌・博物誌、(2)外交報告・旅行記、(3)宗教・道徳説話の三系統に集約され、技術書・歴史書・学術論文のいずれにも該当しない。武術が独立した主題として浮上するためには、明治維新と、それを契機とする日本人自身による発信を待たねばならなかった。
第2章 1880–90年代 —— 柔術・柔道が最初に「武道」として世界へ
日本武道のなかで、日本語以外の言語による単独の記述対象として最初に登場するのは、ほぼ例外なく柔術(後の柔道)である。これは偶然ではない。明治政府が体育と教育の近代化を進めるなかで、講道館柔道は嘉納治五郎の周到な発信戦略によって、はやくから英語圏のアカデミックな場で紹介されていた。
決定的な役割を果たしたのが、横浜・東京の英米人居留者を中心に1872年に設立されたアジア協会(The Asiatic Society of Japan、以下ASJ)である。同協会の会報 Transactions of the Asiatic Society of Japan (TASJ)は、当時の西洋人東洋学者・宣教師・外交官・お雇い外国人にとって日本研究の主要発表媒体であった。
このTASJ第16巻(1889年刊)、pp.192–205に掲載されたのが、トーマス・リンゼー師(Rev. T. Lindsay)と嘉納治五郎の共著論文 Jiujutsu: The Old Samurai Art of Fighting Without Weapons である。1888年4月18日にASJ例会で朗読された記録があり、本文は14頁ほどの比較的短い論考ながら、柔術の歴史的起源、各流派の系統、講道館柔道の創設経緯、技術の分類原理を英語で概観した、英語圏における最初の本格的な学術的記述と評価されている。著者は外国人聖職者(リンゼー師)と日本人武道家(嘉納)の共著という形を取り、日本側の当事者性と西洋側の学術的フレームを同時に確保している。読者として想定されたのは、ASJの会員である西洋人東洋学者・教育者であり、商業的な読者ではない。
ほぼ同時期、1891年にロンドンで設立されたジャパン・ソサエティ(The Japan Society of London、1891年12月に初理事会、1892年4月29日にRoyal Society of Artsで発会式)の会報 Transactions and Proceedings of the Japan Society 第1巻(1892年刊、pp.4–21)に、志立鉄次郎(Tetsujirō Shidachi、1867–1946、当時日本銀行勤務、講道館柔道家)による Jiu-Jitsu: The Ancient Art of Self-Defence by Sleight of Body が掲載される。これは前述のリンゼー・嘉納論文と並んで、英語圏で講道館柔道の理念を最初期に伝えた発表である。協会発会式の場で志立自身が朗読・実演を行い、それが活字化されたものであり、読者層はASJと似た構成だが、より英国本国の知識人・実業家・外交官寄りである。
これら1880–90年代の文献に共通する特徴は、第一に、日本人当事者(嘉納あるいはその近傍)が原稿の責任を持ち、欧米人協力者を介して英語化されていること、第二に、媒体が学術協会の機関誌であり一般市場の書物ではないこと、第三に、技術書というより歴史・思想紹介の性格が強いことである。誰に向けて書かれたかといえば、ごく狭い東洋学コミュニティに向けて、講道館柔道の正当性と近代性を提示するという、極めて戦略的な発信であったと理解できる。
他の武道、つまり剣道・なぎなた・柔剣道・空手などについては、この段階ではTASJや日本協会会報に独立論文がほぼ存在しない。柔道が「日本武道の代表」として国際舞台に最初に立ったのは、嘉納の戦略と人脈の賜物であり、他流・他武道とのスタート時点での差は、その後数十年にわたって縮まらなかった。
第3章 1900年代 —— 「ジャパニーズ・フィジカル・カルチャー」の流行
20世紀に入ると、英米において「東洋の身体文化(Oriental physical culture)」が大衆的なブームとなる。日露戦争(1904–05)における日本勝利の衝撃が、これに拍車をかけた。柔術は、英米の中産階級男性にとって、ボクシングやレスリングと並ぶ「自衛と健康のための実用技術」として一気に商業出版の対象となる。
この流れを最も典型的に体現したのが、米国人著述家H・アーヴィング・ハンコック(H. Irving Hancock)である。ハンコックは1903年に Japanese Physical Training (G.P. Putnam’s Sons, New York)を出版し、続けて1904年に Jiu-Jitsu Combat Tricks、Physical Training for Children by Japanese Methods を矢継ぎ早に刊行した。これらは技術書というよりも、健康法・自衛術としての柔術を、当時米国で隆盛していた「フィジカル・カルチャー」運動の文脈に位置づけ直したものであり、写真・線画を多用し、独習を可能にする形式を取った。読者として想定されたのは、都市の中産階級の男性・少年・家族であり、価格帯も中産階級の書斎に入る一般書として設計されている。
ハンコックは1905年、米国海軍兵学校で柔術を指導したとされるカツクマ・ヒガシ(Katsukuma Higashi)を共著者に迎え、The Complete Kano Jiu-Jitsu (Judo): The Official Jiu-Jitsu of the Japanese Government (G.P. Putnam’s Sons, 1905, xv+526pp.)を出版する。タイトルに「Kano Jiu-Jitsu」と冠したことが象徴的で、米国市場における講道館柔道の権威化と、それまで雑多に流通していた「ジウジツ」のなかで「本物」を主張する戦略が読み取れる(ただしヒガシの講道館との公式な関係や段位の正統性については、現代の柔道史研究で疑義が提示されている)。本書は技術書としての性格が前面に出ており、投げ・固め・当身を写真入りで解説した。
ほぼ同時期に、日本側でも英語による本格的な柔道書が出版される。代表例が、有馬純臣(Arima Sumitomo、講道館四段)の Judo: Japanese Physical Culture; Being a Further Exposition of Jujitsu and Similar Arts in Japan (Mitsumura & Co., Tokyo, 1908、230pp.)である。技術解説に加え、講道館柔道の歴史と意義、そして試合規則を英語で論じている。著者・出版社ともに日本側であり、想定読者は来日した英米人居留者・教育関係者、および英米本国の教育者層であった。日本国内で日本人が英語で書いた柔道・柔術書としても最初期のもののひとつで、その後ドイツ語やフランス語への重訳も出ている。
1910年代には、横山作次郎(1864–1912、講道館「四天王」の一人)と大島英助の共著『柔道教範』を原本とする英訳 Judo (堀口山吉 Yamakichi Horiguchi 訳、二松堂 Nishōdō、東京、1915年、175pp.)が出版されている。これらは、講道館柔道が「日本の体育・体操体系の公式版」として海外に提示される時期に対応している。
この時期の英語文献は、二つの方向性に分かれる。第一が、米国の商業出版に乗った「ジウジツ独習書」(Hancockなど)で、これは半ば娯楽・半ば実用書として中産階級に届けられた。第二が、日本側が日本国内で英語で発信した「公式版講道館柔道」(Arimaなど)で、これは政府・軍・教育機関の関係者を含む、より権威的な読者層に向けられた。同じ柔道でも、誰が誰に向けて書いたかによって、テクストの相貌は大きく異なる。
なお、新渡戸稲造 Bushido: The Soul of Japan (Leeds & Biddle, Philadelphia、著作権表示と著者序は1899年、一般には1900年付として流通)は、武術の技術書ではないものの、同時代の英米読者が日本武道を理解するための背景言説として、後の武道書に決定的な影響を与えた。新渡戸の議論は技術論ではなく道徳哲学だったが、これ以後、英語圏で日本武道を語る際には、ほぼ必ず「武士道」の語彙が呼び出されることになる。
第4章 戦間期 —— E.J. Harrisonと「内側に入った観察者」
1910年代以降、日本に長期滞在し、自ら稽古を積んだ西洋人による武道記述が登場する。これは、東洋学者の外側からの観察でもなく、日本人の英語発信でもない、第三の書き手の系譜である。
その代表が、英国出身のジャーナリスト E・J・ハリソン(Ernest John Harrison, 1873–1961、マンチェスター生まれ)である。日露戦争前後から日本に滞在し、柔道四段を取得して講道館の内部で稽古した彼の代表作 The Fighting Spirit of Japan and Other Studies (T. Fisher Unwin, London, 1913, 351pp.、後に1955年W. Foulsham版で156pp.に縮小・改訂)は、柔術・柔道・剣術・相撲などの記述を含み、自らの体験と日本人師範への取材に基づく、ジャーナリスティックな構成を取っている。技術書というよりは、武道と日本社会の関係を論じる総合的な評論書であり、後年に至るまで何度も版を重ねた。
Harrisonの仕事の特徴は、(1)単一武道に閉じず、複数の武道を横断的に扱うこと、(2)技術記述よりも文化・歴史・人物に重点があること、(3)著者自身が稽古者であるため、内側からの語彙(間合い、気合い、稽古)を英語に持ち込んでいることである。読者として想定されたのは、英国の知識人読者一般であり、特に東洋・極東の文化に関心を持つ中産階級である。
Harrisonは戦間期から戦後にかけて The Manual of Judo (1952)や Judo for Beginners: Basic Methods Explained (1958)など複数の柔道書を著し、また日本人著述家の英訳・編集も手掛けた。彼の存在は、それまで「柔道=日本人の専有物」「柔術=米国の自衛術ブーム」と分裂しがちだった英語圏の武道言説を、一定の知的水準で架橋したと評価できる。
戦間期にはまた、嘉納治五郎自身が英語で講演・論文を発表する機会が増える。1932年のロサンゼルス・オリンピック開催に合わせて南カリフォルニア大学(USC)で行った講演 The Contribution of Judo to Education、各国の国際オリンピック委員会(IOC)関係者との往復書簡、欧米の体育系雑誌への寄稿などである。これらは単行書ではないが、講道館柔道の理念(精力善用・自他共栄)を英語の概念群として整備していく重要な作業であった。
他方、剣道・なぎなた・柔剣道・空手などについて、戦間期の英語単行書はほとんど存在しない。Harrisonの主著にも剣術に関する記述は含まれるが入門的な紹介の域を出ず、空手については1913年初版時点で本土・英語圏を含めてほぼ未知であり(船越義珍の本土での初公開演武は1922年)、本格的な言及は見られない。これらの武道が独立した英語書籍を持つのは、戦後を待たねばならなかった。
第5章 剣道・なぎなたの英語化はなぜ遅れたか
ここで、柔道以外の主要武道、とりわけ剣道・なぎなたに関する英語文献の少なさについて、簡単に整理しておきたい。柔道が1880年代から学術論文を持ち、1900年代に技術書を持ち、1910年代に総合的評論書を持ったのに対し、剣道の独立した英語単行書が登場するのは戦後、それも1960年代になってからである。
剣道に関する代表的な戦後の英語書として、笹森順造(Junzo Sasamori、1886–1976、小野派一刀流第16代宗家・剣道八段範士)とゴードン・ワーナー(Gordon Warner、1912–2010)の共著 This is Kendo: The Art of Japanese Fencing (Charles E. Tuttle, 1964、160pp.)が挙げられる。ワーナーは米海兵隊出身で戦前・戦後の日本で剣道を学び(後にDonn F. Draegerとの共著 Japanese Swordsmanship: Technique and PracticeをWeatherhillから1982年に出している)、本書はその著した初の剣道書としても位置づけられる。書名が示す通り、技術解説に加え、剣道の歴史的・倫理的背景を含む総合的入門書であり、英語圏における「剣道書」の事実上のスタンダードとなった。読者として想定されたのは、米国の剣道愛好家・武道家、および日本文化に関心を持つ一般読者である。
剣道の英語化が遅れた背景としては、(1)講道館柔道のように、海外発信を制度的・人的に担う組織が戦前にはほぼ存在しなかったこと、(2)剣道の教程が学校体育・警察体育と結びつき、対外発信より国内普及に重点が置かれたこと、(3)GHQによる戦後一時的な武道禁止(1946年)と、「しない競技」を経た剣道名称での再開(1952年)、それに伴う全日本剣道連盟設立(1952年10月14日)が、英語文献の出発点を遅らせたこと、が考えられる。
なぎなたについては、独立した英語書籍が1970年代までに登場したとは言いがたい。Donn F. Draegerの後述する三部作中で言及される程度であり、国際なぎなた連盟(INF)が1990年に設立される以前の英語公式書籍は事実上存在しない。なぎなたを主題とする本格的な英語書は、概ね2010年代以降のAlex Bennett Naginata: The Definitive Guide (Rising Sun Productions, 2012)以降の刊行となる。理由としては、戦後「新しいなぎなた」が女子体育として再編されたことで、海外展開のスピードが他武道より遅れたこと、競技人口の中心が日本国内に強く残ったことが挙げられる。
柔剣道(銃剣道)については、戦前の軍隊教練と密接な関係にあったため、戦後しばらくは公的発信が抑制された経緯がある。英語による単独書籍は、本稿の対象とする1970年代までの範囲ではほぼ確認できない。
第6章 戦後 1945–1950年代 —— 占領期から始まる新しい紹介
1945年から1950年代前半は、日本武道にとって最も難しい時期である。GHQの方針によって、剣道・柔道・なぎなた等の学校教育における実施は一時的に禁止または制限され、武道団体は再編を余儀なくされた。にもかかわらず、英語圏の出版市場では、戦時中の対敵研究の延長として、また占領軍関係者の関心の対象として、武道書の需要はむしろ増えた。
この時期の英語文献を特徴づけるのは、第一に、戦前のHarrisonらの著作の改訂・再版が継続したこと、第二に、占領軍の駐留軍人・軍属が自ら稽古し、そのまま帰国後に著者となる回路が成立しはじめたこと、第三に、Tuttle社(Charles E. Tuttle Company、創業者チャールズ・E・タトル 1915–1993、米バーモント州出身)が日本に拠点を構え、武道書を含む日本関連書の英語出版を産業化したことである。
Tuttle社は1948年に東京で設立され(当初は連合国軍占領下で米国ペーパーバックの輸入・占領軍への配布から始まり、1951年以降日本語・日本文化関連書の本格出版を開始)、以後1950–60年代を通じて武道書の英語出版を主導していく。Tuttle版の特徴は、(1)日本人著者と英語ネイティブの編集者・翻訳者の協業、(2)写真・図版の充実、(3)国際市場を視野に入れた装丁と価格設定、にある。後述する空手・剣道・合気道の主要英語書の多くが、Tuttleブランドから出ている。
柔道に関しては、トレヴァー・P・レゲット(Trevor Pryce Leggett, 1914–2000、ロンドン生まれ)の登場が大きい。Leggettは戦前から日本で柔道・禅を学び、最終的に講道館柔道六段を外国人として初めて取得、戦後はBBC日本語放送(BBC Japanese Service)の部長を1946年から1970年まで、24年間にわたり務めた。その間もロンドンのBudokwai(武道会、日本国外最古の柔道道場)で指導を続け、1960年代以降に多数の柔道書・禅書を英語で刊行し、代表作 A First Zen Reader (Charles E. Tuttle, 1960)は英米の禅受容にも大きな影響を与えた。Harrisonの後継として、英国における日本武道紹介の中心軸を形成し、1984年に勲三等瑞宝章を授与されている。
なお、空手について言えば、1950年代前半までは英語単独書はほとんど存在しない。船越義珍(Funakoshi Gichin)が日本で発信していた『空手道教範』(初版1935年)の英訳が刊行されるのは1973年であり、戦後すぐの段階で英語読者が手に取れる空手書はごく限られていた。
第7章 1950年代後半–1960年代 —— 空手の英語文献の誕生
空手の英語文献が本格的に登場するのは、1950年代後半以降である。これは、(1)在日米軍関係者が空手を学んで帰国し、米国本土に道場が開かれていったこと、(2)日本本国の各流派が「海外進出」を組織的に決断したこと、(3)Tuttleなどの英語出版社が「次の柔道」として空手書を商業化したこと、の三要因が重なった結果である。
最も早い時期の英語空手書として注目されるのが、大山倍達(Masutatsu Oyama、極真会創設者)の What is Karate? (東京ニュース社/Tokyo-News Co., 1958年1月、初版98pp.)である。同書は、東京から刊行された英語原版(当初日本語版は存在せず、英語で書かれたことが先行した)で、大山自身の名のもとに、極真会の前身となる時期の空手を、技術と思想の両面から英語読者に紹介した。1959年改訂版、1963年改訂版、1966年「Completely New Edition」と版を重ね、後に日貿出版社(Japan Publications/Nichibo)からも再刊された。続いて大山は This is Karate (Japan Publications, 1965, 368pp.)、さらに1970年に Advanced Karate 等を発表していく。大山の英語書の特徴は、流派(極真会)の正統性を強く打ち出しつつ、米国の身体文化市場(空手=強さの象徴)の需要に応える商業性も併せ持つ点にある。読者として想定されたのは、米国を中心とする英語圏の一般空手愛好家であり、極真会への入門誘導も明確に意図されていた。
JKA(日本空手協会、松濤館系)からは、西山英俊(Hidetaka Nishiyama)とリチャード・C・ブラウン(Richard C. Brown)の共著 Karate: The Art of Empty-Hand Fighting (Charles E. Tuttle, 1960)が出版される。本書は、JKAのカリキュラムを英語読者向けに体系化したもので、基本・型・組手の三部構成、技術名のローマ字表記、各種型の写真連続図解など、後の英語空手書のテンプレートを確立した。著者は日本人空手家と英語ネイティブの共著であり、流派の権威性と読みやすさを両立させている。読者として想定されたのは、米国の空手稽古者・指導者であり、流派の公式テキストとして繰り返し版を重ねた。
剛柔流系統からは、ピーター・アーバン(Peter Urban、1934–2004) The Karate Dojo: Traditions and Tales of a Martial Art (Charles E. Tuttle, 1967)が登場する。アーバンは米海軍として1952年に日本駐留、横浜でRichard Kimに、その後東京で大山倍達(極真会)に、最終的に山口剛玄(剛柔会)に師事して1959年に帰国、ニュージャージーとニューヨークで道場を開き、米国剛柔流(American Goju-ryu)を立ち上げた人物である(これは本家等の了解を得ずに行われたため、組織上も複雑な位置づけを持つ)。本書は技術書というよりも、空手の歴史・道場文化・師弟関係を英語で物語的に語った半・自伝・半・解説書であり、流派の自己語りとしては最初期のものに属する。
上地流からは、ジョージ・E・マットソン(George E. Mattson) The Way of Karate (Charles E. Tuttle, 1963)が刊行され、米国における上地流の存在を英語読者に知らしめた。マットソンは米国人として初めて上地流の黒帯を取得した人物とされる。
これらと並行して、米国人著者による「日本人を介さない」空手書も大量に出版される。代表が、ブルース・テグナー(Bruce Tegner、1929–1985)の一連の入門書群(1960年代中心)である。テグナーは柔道・空手・自衛術を横断する大衆向け実用書を量産し(1963年には自ら柔道・柔術・空手・合気道・棒術を統合したJukadoを創設している)、ペーパーバックの安価な装丁で米国の家庭に空手を浸透させた。彼の書はしばしば「本物の空手家から見ると粗雑」と評されるが、英語空手書の大衆化に与えた影響は無視できない。
ここで、誰が誰に向けて書いたかを整理しておく。1950–60年代の英語空手書は、大きく次の四類型に分けられる。
| 類型 | 代表例 | 流派/系統 | 想定読者 |
|---|---|---|---|
| 日本人著者・国内発の公式書 | Oyama What is Karate? | 極真 | 英語圏の一般読者・入門希望者 |
| 日本人+英語ネイティブ共著の流派公式書 | Nishiyama & Brown | JKA・松濤館 | 米国の稽古者・指導者 |
| 米国在住・帰国軍人による流派自己語り | Urban、Mattson | 剛柔・上地 | 米国の流派関係者・一般読者 |
| 米国人著者による独立した大衆書 | Tegner | (流派横断) | 米国の一般家庭 |
このマトリクスは、空手が他の武道よりも早く、流派ごとの「公式英語書」を持つに至った経緯を示している。柔道が講道館という単一の中心を持ったのに対し、空手は複数の中心(松濤館・剛柔・極真・上地・和道など)を持ち、それぞれが英語市場で自己定位を試みた。結果として、1960年代の英語空手書の総体は、すでに「日本武道の海外発信における最大のプレイヤー」の様相を呈していく。
第8章 1970年代前半 —— 翻訳と学術化の交差点
1970年代に入ると、英語武道書の量と質が同時に飛躍する。決定的な出来事を二つ挙げたい。
第一が、船越義珍の主要著作の英訳である。船越の『空手道教範』(初版1935年、改訂版1958年)は、空手の近代化期における最も体系的な技術書であり、その英訳 Karate-Do Kyohan: The Master Text (大島劼=Tsutomu Ohshima訳、Kodansha International, 1973)が刊行されたことで、英語読者は、空手の「内側」から書かれた古典的技術書にようやくアクセスできるようになった。同じく船越の自伝 Karate-Do: My Way of Life (Kodansha International, 1975、原著1956年)が英訳されたことで、空手の創始者世代の思想が英語圏に直接届くようになる。Kodansha International(講談社インターナショナル)は、Tuttle、Japan Publicationsと並ぶ英語武道書出版の柱として、1970年代以降、日本側公式書の英訳を続々と送り出していく。
第二が、米国人武道研究者ドン・F・ドレーガー(Donald Frederick “Donn” Draeger、1922年4月15日ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ–1982年10月20日没)による日本武道の体系的・学術的記述の登場である。Draegerは米海兵隊に1943年から1956年まで在籍し(硫黄島戦に従軍、戦後は1945–46年に天津で日本軍降伏処理に従事、朝鮮戦争も経て少佐で退役)、退役後に長期間日本に滞在した。講道館柔道(1948年に四段、最終的に高段位)、天真正伝香取神道流(外国人として初めて同流に入門し、教授免許〔menkyo〕を得たとされる。ただし「皆伝(menkyo kaiden)」まで授与されたか否かについては資料により記述が分かれる)、神道夢想流杖術などを修めた稀有な経歴の人物で、武道研究を英語で「学問」として組み立てた最初期の人物の一人と評価される。ホプロロジー(hoplology、武器・戦闘技術の比較人類学)の発展にも大きく寄与した。
代表作は次の三部作(いずれもWeatherhill刊)である。
- The Martial Arts and Ways of Japan, Volume I: Classical Bujutsu (1973、112pp.) —— 古武術編
- Volume II: Classical Budo (1973、128pp.) —— 古武道編
- Volume III: Modern Bujutsu and Budo (1974、190pp.) —— 近現代武道編
この三部作でDraegerは、武術(bujutsu)と武道(budo)を概念的に区別し、さらにそれぞれに「古典(classical)」と「近現代(modern)」の軸を交差させる枠組みを提示した。剣術・槍術・弓術・薙刀術・短刀術・捕手術等を含む膨大な古流の整理と、近代柔道・剣道・空手・合気道などへの体系的接続を、英語の読者に対して初めて学術的水準で示したものである。読者として想定されたのは、英語圏の武道研究者・上級稽古者・大学の日本研究関係者であり、書名・装丁・参考文献の付け方も学術書に近い。Draegerの三部作は、その後の英語圏の武道研究で繰り返し引用され、海外の大学院レベルでの武道研究の出発点を作ったと言ってよい。
なお、Draegerは1969年にロバート・W・スミス(Robert W. Smith、1926–2011)と共著で Asian Fighting Arts (Kodansha International, 1969)を発表しており(1980–81年にペーパーバック版 Comprehensive Asian Fighting Arts として再刊される)、日本武道だけでなくアジア全域の格闘技・武術を横断的に扱う比較研究の枠組みを提示していた。三部作はその発展形とも位置づけられる。
1970年代前半の英語武道書を見渡すと、(1)日本側公式書の英訳、(2)流派ごとの独立技術書、(3)Draeger型の学術的・比較研究的書物、(4)テグナー型の大衆書、の四つが並走しており、英語圏の武道書市場は、戦前のような「柔道一強」ではなくなっている。空手・合気道・剣道・古武道のそれぞれが、自前の英語文献を持つようになったのが、この時期の到達点である。
第9章 ジャンル別の比較 —— 技術書・一般書・歴史書・学術書
ここまで時代順に見てきた英語武道書を、ジャンル別に整理し直してみよう。1970年代までの英語武道書を、技術書(technical manual)、一般書/読み物(general/popular)、歴史書(historical narrative)、学術書/論文(academic/scholarly)の四つに分類すると、おおむね次のような分布が見えてくる。
技術書:量的に最も多い。Hancock以来の柔術独習書、Arimaの柔道、Nishiyama & Brownの空手、Sasamori & Warnerの剣道、Oyamaの空手などが該当する。共通する特徴は、(1)写真・図版が大量に入る、(2)技名のローマ字表記体系が著者・流派ごとに独自であり統一されていない、(3)型・基本・組手という構成順が踏襲される、ことである。読者は概ね稽古者・指導者である。
一般書/読み物:Harrisonの The Fighting Spirit of Japan、Urbanの The Karate Dojo、Funakoshiの自伝などが該当する。技術解説よりも、武道家の人生、道場の文化、稽古の哲学を物語的に語るタイプの書物で、読者層は稽古者に限らず一般の日本文化愛好家に広がる。
歴史書:厳密な意味での通史的歴史書は、1970年代までの英語圏には極めて少ない。Draeger三部作の前半二冊(Classical Bujutsu, Classical Budo)が、英語圏で初めて「日本武道通史」の枠組みを提示したと言える。それ以外では、Tales of Old Japan系の説話的歴史記述や、各流派書の冒頭に置かれる略史程度に留まる。
学術書/論文:1880年代のリンゼー・嘉納論文、1892年の志立論文、Asiatic Society of Japanの諸論文(主に剣・甲冑・刀剣に関する古武具学的研究を含む)、戦前の博物館・東洋学者による刀剣・甲冑研究、そして1973–74年のDraeger三部作が中核を成す。Draeger以前は、武道(bujutsu/budo)そのものを正面から論じる査読付き学術論文は、英語圏では数えるほどしか存在しなかった。1970年代以降に武道史・武道社会学が学問領域として立ち上がる前夜の段階だったと言える。
このジャンル別の分布から見えるのは、第一に、英語武道書は1970年代までは圧倒的に技術書中心であったこと、第二に、歴史書・学術書がDraegerの登場まで著しく薄かったこと、第三に、一般書のヒット作(Harrison, Funakoshi自伝)はあったが、それらは「日本武道とは何か」を文化論として論じる枠組みを提供しはした一方、技術的・歴史的精度においては学術書を代替できなかったこと、である。
第10章 武道に関する学術研究 —— 1970年代までに何が成立していたか
最後に、本稿の対象期間における「武道に関する学術研究」の状況を、英語文献に絞って整理する。
19世紀後半から20世紀前半にかけての英語学術研究は、武道そのものを主題化するというより、武具・甲冑・刀剣を、東洋古美術・武器史・物質文化研究の対象として扱う系譜が主流だった。Asiatic Society of Japan、Japan Society of London、各国の東洋学会、博物館(大英博物館、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、メトロポリタン美術館等)のキュレーター・研究者による刀剣論文・甲冑論文がこれに当たる。これらは武道書ではないが、武道の物質的基盤を欧米の読者に伝える役割を果たした。
「武道」そのものを論じる査読付き論文として最初期に位置するのは、繰り返しになるが1880年代のリンゼー・嘉納 Jiujutsu と1892年の志立 Ju-jutsu である。これらは現代の論文水準と比べれば歴史記述に偏り、技術の科学的分析や社会学的分析を含まないが、当時の東洋学の学術手続に則った発表であり、英語圏における日本武道研究の「論文」としての出発点である。
戦間期から戦後にかけては、嘉納治五郎やその弟子筋による英語論文・講演録、教育学・体育学の枠組みでの柔道論などが断続的に発表される。ただし、それらの多くは英語圏の学術誌に査読論文として収録されたというより、講演録・専門誌寄稿・国際会議資料の形式である。
新渡戸稲造の Bushido (1900)は、しばしば学術書として位置づけられるが、厳密には倫理学・道徳哲学の評論であって、武道史・武道学の学術書ではない。とはいえ、英語圏で日本武道を論じる際の「武士道」概念の準拠枠を提供した影響は計り知れず、Funakoshi、Oyama、Draegerに至るまで、英語武道書が「ブシドー」の語をほぼ無批判に共有し続ける土壌を作ったと言える。
1969年のSmith & Draeger Asian Fighting Arts と、1973–74年のDraeger三部作によって、武道は初めて、武具・武器史・哲学エッセイから独立した「武道それ自体の学」として、英語の学術空間に位置づけられた。Draegerの枠組みは現在から見れば批判の余地が多々あるが、それまで断片的に存在していた英語武道記述を、概念的に整理しなおした功績は揺るがない。本稿の対象期間の終点(1970年代前半)は、英語圏の武道研究が「学問」として最低限の体裁を整えた瞬間でもあった。
なお、社会科学的・人類学的視点から日本武道を分析する英語学術研究、たとえば武道と国民国家、武道とジェンダー、武道とグローバリゼーションといったテーマに踏み込むのは、ほぼ1980年代以降のことであり、本稿の射程外となる。
終章 —— 何が紹介され、何が紹介されなかったか
19世紀以前から1970年代までの英語(および少数のドイツ語・フランス語等)による日本武道紹介書の系譜を概観してきた。結論として、いくつかの点を強調しておきたい。
第一に、紹介されたのは圧倒的に柔道と空手だった。 1880年代の論文以来、英語圏における日本武道のイメージは、まず柔道(柔術)によって作られ、1950年代後半以降に空手がその後を継いだ。剣道は遅れて1960年代に独立書を持ち、なぎなた・銃剣道などの本格的英語書は1970年代までにはほぼ存在しなかった。海外読者にとって「日本武道」のメンタル・マップは、長らく柔道と空手の二本柱で構成され、それは現代に至るまで強い慣性を持って続いている。
第二に、誰が書いたかが、誰に読まれたかをほぼ決定した。 学術協会の機関誌に載った嘉納たちの論文は東洋学者に、ハンコックの一連の柔術書は中産階級の家庭に、Harrisonの評論は知識人読者に、Nishiyama & BrownはJKAの稽古者に、Oyamaは英語圏の一般空手愛好家に、Draegerは武道研究者に届いた。同じ「日本武道紹介書」でも、出版社・装丁・価格・章立てによって読者は峻別され、それぞれの読者層が独自の武道像を形成していった。
第三に、ジャンル的には技術書が圧倒的に多く、歴史書・学術書は薄かった。 Draegerが1973–74年に登場するまで、日本武道を「歴史」として体系的に英語で論じた書物はほとんど存在しなかった。これは、日本側でも英語側でも、武道の歴史記述が比較的新しい学問領域であることと整合する。
第四に、戦前から戦後への連続性は、人物を介して維持された。 HarrisonとLeggettは戦前から日本に関わって戦後まで活動を続け、Tuttleは占領期に来日して英語出版の拠点を東京に築き、Draegerは戦後の長期滞在を通じて武道研究を学術化した。世代と立場は異なるが、組織が一度途絶えても人を介して言説が継承された点に、英語武道書の系譜の特徴がある。
第五に、紹介されなかった/書かれなかった武道がある。 なぎなた、銃剣道、合気道(これは1970年代までにある程度英語化されるが本稿では深く扱わなかった)、各種古武術の多くは、1970年代までの英語書市場では脇役にとどまった。日本武道の総体は、英語圏では1970年代までは「半分しか紹介されていなかった」と言ってよい。
日本の研究者・愛好家がこれらの英語文献群を参照する意味は、単に「過去の海外向け発信を確認する」という史料的なものに限らない。現代の世界で日本武道が読まれ、稽古され、語られている言葉づかいの多くは、本稿で取り上げた書物群によって既定された語彙の上に成り立っている。「budo」「kata」「dojo」「sensei」「bushido」といった単語が英語圏で持つ含意は、リンゼー・嘉納から大山・Draegerに至る数十冊の英語書によって形成され、現代の英語圏の学術論文、道場の規約、商業出版に至るまで受け継がれている。
日本国内でこれらの英語文献群を読み直すという作業は、自国の武道がどのように世界に伝わり、どのように誤解され、どのように愛されてきたかを把握するための、最も確実な手続きである。本稿が、その手続きの最初の見取り図として読者諸氏の役に立つことを願う。
付録:本稿で言及した主要文献(時代順)
- E. Kaempfer, The History of Japan (英訳版 London, 1727)
- F. Caron, Beschrijvinghe van het Machtigh Coninckrijck Japan(蘭語原書 1645/46) / R. Manley英訳 A True Description of the Mighty Kingdoms of Japan and Siam (London, 1663, 再版 1671)
- P.F. von Siebold, Nippon: Archiv zur Beschreibung von Japan (Leiden, 1832– )
- A.B. Mitford, Tales of Old Japan (Macmillan, 1871)
- T. Lindsay & J. Kano, Jiujutsu: The Old Samurai Art of Fighting Without Weapons(TASJ所収、1880年代後半)
- T. Shidachi, Jiu-Jitsu: The Ancient Art of Self-Defence by Sleight of Body (Transactions and Proceedings of the Japan Society of London, vol.1, 1892)
- I. Nitobe, Bushido: The Soul of Japan (Leeds & Biddle, 1900)
- H.I. Hancock, Japanese Physical Training (Putnam, 1903)
- H.I. Hancock, Jiu-Jitsu Combat Tricks (1904)
- H.I. Hancock & K. Higashi, The Complete Kano Jiu-Jitsu (Judo) (Putnam, 1905)
- S. Arima, Judo: Japanese Physical Culture (Mitsumura, 1908)
- E.J. Harrison, The Fighting Spirit of Japan (T. Fisher Unwin, 1913)
- M. Oyama, What is Karate? (Tokyo-News Co., 1958)
- H. Nishiyama & R.C. Brown, Karate: The Art of Empty-Hand Fighting (Tuttle, 1960)
- G.E. Mattson, The Way of Karate (Tuttle, 1963)
- J. Sasamori & G. Warner, This is Kendo: The Art of Japanese Fencing (Tuttle, 1964)
- M. Oyama, This is Karate (Japan Publications, 1965)
- P. Urban, The Karate Dojo (Tuttle, 1967)
- D.F. Draeger & R.W. Smith, Asian Fighting Arts (Kodansha International, 1969)
- G. Funakoshi, Karate-Do Kyohan: The Master Text(T. Ohshima訳, Kodansha International, 1973)
- D.F. Draeger, The Martial Arts and Ways of Japan, Vol. I: Classical Bujutsu (Weatherhill, 1973)
- D.F. Draeger, Vol. II: Classical Budo (Weatherhill, 1973)
- D.F. Draeger, Vol. III: Modern Bujutsu and Budo (Weatherhill, 1974)
- G. Funakoshi, Karate-Do: My Way of Life (Kodansha International, 1975)
※書誌情報は版・刷によって異同があるため、利用にあたっては必ず現物・図書館目録での再確認を推奨する。

